ミスコン反対に潜み得るマターナリズムと性の疎外

2012-01-29(日)

さて、前回は序論的に
そして多分に、ミスコン反対論の基礎にある概念・姿勢を
ミスコン反対論側にあえて与するようにざっと説明するのに
多すぎるくらいの紙面を費やしてしまいましたが...



女性から女性への、いわば「おやごごろ」的な助言・教え・提言
「もっとしっかり問題のありかを見なさい、おバカなオコチャマたち!」
とでもいわんばかりの「おかあさん主義」マターナリズムが
そこには潜んでいないかな?
そしてそうだとすれば、それは正当なフェミニズム的主張になり得るのかな?
さらに言えば、
それこそ男性による女性の性的搾取をあらしめてきた
「ああいう人たちと私たち」という女性による女性差別と同じものであり
退行であるのではないかな?
というのが、私の「ミスコン反対論」「ミスコン反対陣」に対する
疑念であり、反感であり、批判であり、問題提起であるわけです。



極論でもあるし、「フェミニズム」全体も「ミスコン反対論陣」全体も
細かく網羅的につかんでいるわけでもないですが、
私がいつも反感や嫌悪感や違和感を感じずにはいられないのは、
そうした動きがたいていの場合
「オトコが悪い」「ミスコンが悪い」
「それに参加する無知蒙昧なオンナたちも悪い」等々の、
「誰々が悪く、そして正しく善く賢いワタシたちがそれをただしてあげる」みたいな
基本姿勢、というかむしろ理論武装された感情論みたいなものに根っこを置いている
ことなのです。



そして、その先にははたして何があるのだろう?
ミスコンやミスコン的なものがすべて殲滅された時、
女性がその知性や知識や実務能力や理解力や身体能力や創造力を活かして
全人格的価値を認められる自由で抑圧されない存在になったとして、
その全人格的女性の愛・恋・エロス・セクシュアリティは
どうなっているのだろう?どうなっているのが理想だと言うのだろう?



そう、これがたぶん、私個人のフェミニズムであるし、
これゆえに私はたいていのフェミニズム/フェミニストに共感できないんですね。
ミスコンの評価基準が見た目の美しさ —
したがって性的な「好ましさ」に偏っているとしても、
はたしてそれが、この広い人間世界でただひとつ責められるべき事項なのか?
学力に偏った受験、特殊な専門的能力に偏った資格試験、
身体能力・技能に偏ったスポーツ・格闘技...
これらにそうした批判・非難を浴びせる人がいたら...相手にされないですよね。
ミスコンに限らず、アイドル・モデル・女優・タレント...と
そういうフィールドがあり、
そういうフィールドで自分を活かしたいという女性たちがいる。
それらを「男性による男性のためのもの」として捉える視点がすでに偏っていて、
そこにもやはり女性たち自身が主体としても存在することが
奇妙に不自然なまでに視界からも論点からも抜け落ちている気がするのです。



またしてもとっちらかってどこかで脱線した気もしますがw
ノリのままに語ることが時としてパワーある言説を生む、ってことで
もう少し、また別アプローチでいっちゃいます。



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