日常のエロスの可能性に向けて

2012-04-21(土)

前回はいつのまにかネガティヴ方向に話が流れちゃったんですが
もともとは日常に遍在するエロスってとこを語ってみようと思ってたんでした。
前回
「好きだ/好みだ/気になる/魅かれるというのは
誰もが日常生活の瞬間瞬間にたびたび出会う
多かれ少なかれエロティックな瞬間/機会であって、
美人やイケメンに限られた特別な恩寵ではないのです」
と書いた時、念頭にあったのは映画『ニキータ』でした。



『ニキータ』は別に悲しくも美しい恋愛映画ではありませんが、
ニキータとマルコの出会いのシーンは
まったくロマンチックでも何でもない日常的場面で
どうってことのない「普通の」男女が出会うシーンとして
さりげなくも美しい
日常に遍在するエロスを語るのに絶好のシーンの一例です。



観客の私たちは、このシーンでもう、ニキータが暗殺者として育成され
秘密の施設を出て一人暮らしを始めてることを知ってるわけですが、
マルコはそんなことは何も知らないわけです。
ニキータはけっして目立つような美人というわけでもなく
スーパーのレジ係であるマルコだってどっちかというと冴えない普通の男。
でもマルコとニキータの間に
寂しい人間同士の何らかの「気になる」ものが伝わりあって
マルコはちょっとした軽口でちょっかいをかけるていで
アプローチをかけ、二人の関係が始まるのです。



私たちが見慣れてるテレビの連続ドラマの
主人公と副主人公の、その後の展開のためテーマのための
必然的に見えてずっとフィクション性の高い「出会い」に比べて
この二人の出会いはずっと偶然性が高くて必然性もなく見えます。
でも、実際の恋愛の始まりは往々にしてそんなものじゃないのかな、
とも思える自然ささりげなさをうまく表している気もします。
瞬間的にはたらく、理由もわからない何か、
好き好かれ、理解し理解され、欲し欲される関係への憧れと予感、
それだけで十分で、
逆にそれがなければどんなに好条件が —
いい女いい男の条件がそろっててもはたらかないエロスというもの。
寂しく無名の、いってみれば恵まれない境遇にある普通の二人が
その一瞬、賭けてみるべき乗ってみるべき何かを感じた —
そこにエロスというものの可能性、
けっして、一生を賭けた涙なしには見れない美しい純愛物語に発展する
「真実の純愛」である必要のない、
より日常的なエロスのかたちが見れる気がするのです。



ニキータやマルコよりずっとリッチで華やかでお気楽で娯楽と刺激に満ちてるはずの
私たち平均的日本人の平均的日常生活。
でも、草食系とか恋活婚活とかのアレコレを半分でも信じるなら
私たちほどエロスから遠い人々もいないんじゃないかとも思えます。
そこにはもしかしたら
「特別な恋愛のために特別な人間にならなくちゃ、
そして特別な相手と特別な恋愛を手に入れなくちゃ」という
どこか本末転倒なおかしな思いこみがあるんじゃないんでしょうか。
空前の?純愛映画ブームみたいなここ数年のそういう映画、
そのCMなんかをみかけるたびに
私は現実と幻想のかけはなれたギャップに違和感を感じるのです。



と、どこにも行き着かないまま終りですが、
「エロス」については少し語れたかな、と思います。



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テーマ:女の心理 男の心理 ジャンル:恋愛

カテゴリ:エロス

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